JP編集部から「日韓芸能界の違いについて書いて欲しい」というたっての要望があった。正直、内輪の話はあまり気が進まないのだが、筆を執ってみることにする。
「何故韓国の女優の自殺が相次ぐのか?」と、こんな事件がある度に日本のマスコミも大きく取り上げる。
私は同じ女優という立場の者として、彼女達の苦悩は想像するに難くない。
「芸能人」は誰もが「なりたい」と思うかもしれないが、誰もが本気で「なろう」とはしない職業ではないだろうか。
芸能界は実力と同時に「運」も必要で、非常に不確実な世界だ。
スポーツなら白黒がはっきりつくが、俳優の実力は誰がどう評価するのか、実に曖昧だ。努力すれば必ず報われるとも限らない。
しかも俳優は常に「選ばれる側」でしかないという、「買い手市場」の世の中だ。
仕事をくれるPDや監督、好意的な記事を書いてくれる記者たちに、つい媚びを売りたくもなろう。
なかには「自分の機嫌をとってくれなければ我慢がならない」という傲慢な人もいるかもしれない。そしてそういう人達の要望を限りなく受け入れることで、仕事を得るという生き方を選んでしまう人もあるのかもしれない。
権力のある者がそれを振り回して、目をかけている女優さんを屈服させようというのはありがちな話だ。
また逆に彼等のパワハラやセクハラを逆手に取って、したたかにチャンスを掴もうとする人がいても、それはその人の生き方の問題なのだから、まわりがとやかく言うことでもない。
芸能界が危うい世界だということは日本も韓国も基本的には同じなのだと思う。
しかし、日本では早い時期から「プロダクション」という制度ができあがり、俳優達は特定の放送局や映画会社の枠にとらわれず、様々な仕事を自由に得ることが出来るシステムになっていた。
私が韓国に行き始めたときに、「私は俳優だ」というと、「NHKの所属か?日本テレビの所属か?」と度々質問された。
当時、韓国の俳優さんはたいてい、放送局の専属だったことからの発想なのだろう。
俳優が放送局に属していれば、局のPDの胸先三寸で仕事が決まるのだから彼等の権力は俳優にとっては強大だ。畢竟俳優はPDの顔色を窺うことになる。
しかし日本では「プロダクション」というシステムが確立していたために、同じように「買い手市場」であり「選ばれる立場」であっても、職場が広域になったことで俳優の側にも自由な選択の余地が出来てきた。買われるばかりでなく、互いに「売り買い」するのだという対等な権利意識も芽生えたと思う。
また「プロダクション」のスタッフ、マネージャーは自分が抱える俳優やタレントの生命が長く保たれるよう、間に入って両者の関係を良好に保つ努力をした。
間違いのない信頼される仕事ぶりや、適正なギャランティ、制作側とはもちろんのこと、他のプロダクションのマネージャーとも情報を共有してゆく、円滑な人間関係の構築など、長きにわたって日本の業界人達は真摯に努力してきた。
俳優の利害はマネージャーと概ね一致しているし、信頼関係で結ばれている。
このような業界のルールは長い間に、それぞれが努力し知恵を絞って培ってきたものだとおもう。
芸能界に限らずどこの業界にも「暗部」はあるものだとおもうが、結局、不正な手段は長くは続かず、いずれ淘汰されるものだ。
私の周辺を見ていても、最後に残るのは真面目に努力する人や、謙虚でまっとうな考えをもっている人達だ。また、そうでなければ嘘だと思う。
現在の韓国芸能界は「過渡期」なのだと思う。
モラルの確立した芸能界は、苦しみつつも誰かが作り上げるよりない。
そしてそれを作るのは、不正や癒着を毅然として退ける、芸能人個々人の意識や態度意外にはないと思う。